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Interview
SDGsの先駆者に訊く

Re:toucher 58
月1回の「多世代食堂」では、
テーマを決めて
イベントも開催。

いるかのこそだて(岐阜県大垣市)

松好 和子さん
インタビュアー Re:touchエグゼクティブプロデューサー 田中 信康
SDGsターゲット
  • 03 すべての人に健康と福祉を
  • 12 つくる責任 つかう責任
  • 17 パートナーシップで目標を達成しよう
※このターゲットはRe:touch編集部の視点によるものです
岐阜県大垣市にあるcafe&kitchen「どるふぃん」を拠点に、ボランティア市民団体「いるかのこそだて」を運営する松好和子さん。月1回の子ども食堂が主な活動だが、能登半島地震が起きてからは、ボランティア活動で現地へ通った。また、2024年9月には、地域のふれあいイベント「いるかのふるさとまつり」を初めて開催。松好さんが恩返しのつもりで始めた子ども食堂や、能登半島地震の被災地での人のつながりに背中を押されるように、ボランティア市民団体としての活動が広がっている。
子どもたちのためにやってあげている。子ども食堂の運営で勘違いしていたことから目が覚めてから、地域のみなさんからのアドバイスが心に届くようになった。子ども食堂は食を通してその先にあるものが大切。それは、能登半島地震での被災地支援で確信になった。自然災害の前では大型重機ですら無力で、人と人が手をつないで被災者を救出していた。松好さんは、人のつながりや人の縁こそが、子ども食堂はもちろん、防災やまちづくりに欠かせないことを知った。
今回は、子どもたちにも家族の一員として役割を果たせるようになってほしいという松好和子さんにお話を聞いた。

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子ども以外でも利用できる
「多世代食堂」として運営。

田中:松好さんはボランティア市民団体の代表をされていますが、「いるかのこそだて」という名称にはどんな思いが込められているんですか?

松好:私がやっているcafe&kitchenの店が「どるふぃん」っていうのもありますが、不思議なことに固定電話の市内局番以降が「76-3708」(なろう、みんな親)なんですよ。

田中:たまたまですか?

松好:たまたまなんです。それに、イルカって本当に賢い動物で、群れで生活しているんですね。音を使い分ける独特の方法でコミュニーションを取っていて。そんなところからみんなで子育てをしたいとか、私じゃないとできないことをやりたいという思いがあります。そういういろいろなことに導かれるように、「いるかのこそだて」になりました。

田中:このボランティア市民団体を立ち上げたのはいつですか?

松好:2021年の11月なので、ちょうど丸3年ですかね。

田中:お店には熱いメッセージが書かれたポストイットがいっぱい貼られていますが、どういった活動をされているんですか?

松好:まず、毎月第4日曜日の12時から13時半までやっている子ども食堂ですね。この店の駐車場を使って、基本的には屋外でやっています。ほかには、毎週水曜日と木曜日の18時から19時のどるふぃんの「夜ご飯支援タイム」では、特製ハヤシライスを300円で提供したりしています。このポストイットが貼られているスペースは「Dream Ticket」といって、お客さまに1枚100円のチケットを購入してもらいこのボードに貼っておいてもらいます。子どもたちはこのチケットを使って、夜ご飯支援タイムに食事ができるという仕組みなんですね。そのお客さまや子どもたちのメッセージがポストイットに書いてあるんですよ。

田中:夜ご飯支援タイムの特製ハヤシライスが300円とはお値打ちですね。

松好:子ども食堂ではあれがほしいこれがほしいというのではなく、みなさんからいただいたものでできることをやってきました。普段は、とりあえずおなかがいっぱいになるようにしていて、それにプラスアルファして、毎回テーマを決めてイベントを開催しています。例えば、6月のテーマは「命を守る活動」で、JAFの方にシートベルトの衝突体験装置を設置してもらい、時速5kmの衝突体験をしていただきました。7月は「鮎つかみ」、8月は「出張こども食堂」のように、この月1回の子ども食堂は、食を通してその先にあるものでつながれたらいいなと思っています。なので、「多世代食堂」として、子どもは0円、大人は協力金300円以上で、子ども食堂の運営などに活用っていう形を取らせていただいています

田中:そうなんですね。

松好:はい。なので、子ども以外の方も来てくださいねって。

田中:どうして子ども食堂(多世代食堂)をやろうと?

松好:私が栄養失調で倒れたことがあって、大垣へ帰ってきてからですが。本当に食べられないときがあって。それに気づいてくれたトラックの仲間が、まだ滋賀にいるときでしたが、今どこどこのパーキングにいるから来いと。それで行ってみると、食材とかがあるわけですよ。あとは、岐阜で一緒に乗っていたトラックのお姉さんが、袋いっぱいに乾物とか持ってきてくれたりとか。そんなときに会社で倒れて、会社の方があわてて病院へ運んでくれたら、体脂肪率が男性より低いみたいな。で、栄養失調ですっていわれて、私もびっくりしたんですが。

田中:自覚症状ってないものなんですね。

松好:なかったんですね。こうした私が苦しんでいる時代に、みなさんがいろんなものを差し入れしてくださった。それが、原点です。たまたまこの家をすすめられたときも、飲食店をやろうと思ってここを買ったわけではないんですよ。主人の親の体調が悪くなって、同居を考えてほしいっていわれて、本当は二世帯住宅を探していて、1軒目にここを紹介されました。えっ、ここ?と思って。でも、ここを買わなきゃ後悔する気がするって主人にいったんですね。

田中:本当に偶然が重なって。

松好:それで、ここに店舗がついていたから、じゃあ、飲食店をやるかってなって。店が3周年を迎えるタイミングで、お客さまもたくさん来てくださるようになったので、今なら子ども食堂ができるかなと思って。子ども食堂をやるので野菜をください、おやつをくださいっていう貼り紙1つで始めました

田中:やっと子ども食堂ができるようになったと。

松好:あるとき、お客さまのお支払いが410円だったと記憶していますが、500円でお釣りは子ども食堂に使ってとか。あめちゃんが1袋しかないんですが、これでもいい?とか、そういう感じで店のお客さまが持ってきてくださるようになって。そうこうしているうちに、ご寄付をいただくのに団体でないとだめだとか、保険に入らないといけないってなったときに、市民団体として登録するとまた広がるよっていうことで、初めて市民団体として登録したのが2021年の11月4日です


地域のみなさんからも、
本音で叱ってもらえる。

田中:コロナ禍とか本当に辛い時期もあったなかで、久しぶりにお会いしたら、もうこんなところまで進んでいたんだって。ストレートにすごく感動しました。

松好:ありがとうございます。みなさんからも本音で叱ってもらえるようになりました

田中:子ども食堂には、いろんな意見を持っている方がいらっしゃいますから。

松好:そうです、そうです。私が食べられなかったことを原点に始めたんですが、子ども食堂で与えるだけがすべてじゃないよっていわれたのには、とてもびっくりしました。あなたがやっている活動は、やってもらって当たり前の人を生んでいく。だから、あなたがやっている活動が人をだめにしちゃうって聞いたときは、本当に驚きましたね

田中:なかなかショッキングなことでしたね。

松好:実際、子ども食堂を利用される方は、どうしてもここで食事をしなきゃっていう方は少ないんですよ。やっぱりコミュニケーションの場として、食を通したその先にあるものが大切で。なので、何回も何回もお顔を合わせていくうちに、ほかの利用者の方がいらっしゃらないときに、私ならしゃべってもいいかなと思ってくださって、本当に明るいお母さんが急にぽろぽろと泣かれてお話をされたりとか。逆に、ここの家は裕福だろうなと思っていたら、外から見えるのとは違って大変だったりとか、おうちのなかのことってわからないもんですね。

田中:そんなこともあるんですね。

松好:子ども食堂の運営が以前とは違ってきていて、結局、自分の足で立ち上がるきっかけにしてもらうところかなって。私にも、こんなにやってあげているのにっていうのがすごくありました。ありがとうすらいってもらえないばかりか、ルールも守ってもらえないというのがあって、どうなっているんだろうって。私におごりや高ぶりみたいなものがあって、やってあげているっていう気持ちが強かったんですね。そしたら、酔っぱらうなよっていうお言葉をいただいて。私はこんなことをしてあげていますって酔っぱらっている間は、だれの声も耳に入らないよと。

田中:その言葉で気がついたと。

松好:それから、びっくりするくらいみなさんのいわれることが心に届くようになりました。お釈迦さまはねっていうお話をされる場合もありますし、昔はこういわれていてねっていうお話をされる場合もあります。要するに原点を忘れるなっていうか、大切なのは与えるだけじゃなくて、与えられた方が次に何をしようかって、前に進めるきっかけづくりを活動のなかでやっていかないといけないって

田中:食事は手段であって目的でないと。

松好:今、ボランティア市民団体として大事にしていることは、子ども食堂の利用者さんもこんなにやってもらっているから、私たちも何かお返しできることがあったらお返ししたいわって、きっと思ってもらえているんですよ。だったら、私たちにはお返しいただかなくていいから、今後、何かのタイミングでだれかに何かしようって、今ならできるなっていうときやってくださいって、利用者さんには伝えさせてもらっています。

田中:松好さんみたいにがんばっている方に、厳しいことはなかなかいえないんですが、大きな気づきになりましたね。

松好:そうですね。


やってあげたいって、
本当にそれでいいの?

田中:先日、「いるかのふるさとまつり」に顔を出せていただいたときに、みんなで盛り上げていきたいという思いが伝わってきました。このRe:touchのインタビューも、松好さんみたいに強い思いを持って活動されている方のプロモーションの一助になればと、そうした発信のお手伝いのつもりでやらせていただいています。これがきっかけで、こんなところにつながったんだよってお聞きすることも少なくなくて、それがすごくうれしくて。 ところで、能登半島地震の被災地へ行かれているとのことですが、それはどうしたことからですか?

松好:東日本大震災のときにはまだ子どもが小さかったんですね。もちろん何もできなかったんですが、能登半島大地震が起きて、あちらの方にトラックで配送していた時期もあって、向こうにも仲間がいる。お世話になったっていうのもありまして、今なら行けるなと思ったんですよ。

田中:東日本大震災のころからうずうずされていたんですね。

松好:最初は能登町だったんですが、二次災害に遭ってはいけないので、スタッフには人数を絞って行くって。ちょうど、1月の子ども食堂は防災をテーマにやろうと思っていたんですね。電気やガスがない状態で、がれきを燃やして食事を作ることをやりたくて。たまたま助成金もあって、それで、まきで炊けるアウトドアグッズなんかを買っていたんですよ。1月の子ども食堂で使ったものが役に立ちました。

田中:松好さんには、何か不思議な巡りあわせがありますね。

松好:能登町では避難所じゃなくて、避難所は支援物資が届くんですが、そこに行けないおばあちゃんたちがいて。そういう方が公民館に30人ぐらいいらっしゃって、近隣にも在宅避難されている方とかがいらっしゃって、そこへ行けますかって聞かれました。そこで、すぐに行きますって。私たちは子ども食堂で100食ぐらい提供しているから、100食ぐらいなら可能ですって。それこそ、子ども食堂を始めたときのように、やってあげようと思って行ったんですよ。

田中:現地はどんなようすでしたか?

松好:やってあげようと思って行ったのに、逆に、コミュニティーが出来上がっていて、それをまざまざと見せつけられました。おばあちゃんたちも、最初は食べたあとに、ありがとうね、どこから来たのって。そんなお話をしている間に、近所の若夫婦とかが一時帰宅するわけですよ、家の片づけをしに。そしたら、すぐにおばあちゃんたちが声をかけるんですね。あんた大丈夫やった?って。いや、自分の方が大変なのに。それで、そうかねって。子どもは?って、心配されるわけですよ。それで、おばあちゃんも大丈夫だった?って、そこで。親戚でも何でもないんです。そういうやりとりが目の前で行われるわけですよ。

田中:温かい光景が目に浮かぶようです。

松好:私たちにまで、雪のなかを走って行ったんで、あなた、雪、大変だったでしょう?って。あれっ? 天狗になっていませんでしたか? やってあげたいと思って行ったんですが、本当にそれでいいの? あっ、違うぞ、って思って。それで、大垣で大地震が起こって、みんなが避難所に行ったら、避難所での生活、みんなできるのかなって。それで、とりあえず1回行こうと思っていたんですが、また来てねっていわれて、もう1回行こうって、すぐ、その帰り道に。

田中:決断が速い。

松好:輪島市の支援が減っていると聞いたので、能登からの帰り道に輪島市役所に連絡をして。1週間空けてまた入らせてもらったんですが、2回目だからちょっと余裕を持って行ったんですね。そしたら、もう一緒に行った3人とも言葉が出ない。報道では1カ月半経って落ち着いたっていっていたのに、家が倒れているぎりぎりのところを通っていくんですよ。その倒壊している、その横で生活されている方とかもいらっしゃったりして

田中:行ってみないとわからないですから。


炊き出しをしているときに、
生きる糧を交換していると。

松好:能登へまた行くの? すごいねってよくいわれますが、いや、すごいかな?と思っていて。もう3回目からは、会いに行きたいみたいな。私たちは支援物資を持って行くんですが、被災地でいろんな気持ちをいただいたり、ヒントをいただいたりして。あっ、これって、そうか、私たち、炊き出しに行っているんですが、炊き出しをするだけじゃだめなんだと思うようになったんですね。炊き出しをしているときに、生きる糧を交換しているみたいな。

田中:お互いに元気をもらっていると。

松好:そういうときに、またいろんな話が出てくるんですよ。そうすると、じゃあ、私もがんばろうって思えたし、相手の方もがんばろうっていう気持ちになったりと。それが、回数を重ねていくと、楽しみに変わったんですね。大変だったときの話じゃなくて、あなたこういうの食べたことある? いや、ありますよって、大垣はこういうのありますよ、とか。そういうわははっていうのが始まって、避難所でも。そうすると、お互いに楽しいから、また来るね、また楽しもうねってなったんですよ。あっ、これかなと思って。あっ、これが生きる力の交換かなと思ったんですね。

田中:すばらしいことに気づきましたね。

松好:珠洲市に行ったときには、今度、海へ入る準備をしておいでよ、とか。じゃあ、大垣には川があるんですよって。いや、こっちも川はあるけど、川は遊べないよっていわれたから、じゃあ大垣で遊べますから、来てくださいよって。そういったやりとりが楽しみなんですね。それが与えるだけじゃなくて、次に何をしようっていう気持ちに変わった。あっ、これを子ども食堂でもやらないかんのやなって思えてきて。そうやっていくうちに、ほかのボランティアをやっている団体とかと知り合って、そしたら、あそこにこういう方がいるよと。じゃあ、今度はそこへ行くから、そこにつないでっていう話になって、つながっていったんですね。

田中:被災地でどんどんつながっていけたんですね。

松好:2024年9月21日に奥能登豪雨が発生して、ここでもボランティアをさせていただいたんですが、水害のときはもう大型の重機も役に立たないんですよ。消防隊の方も自衛隊の方も本当にマンパワーで、みんなで手をつないで流れをせき止めて、濁流のなかを消防隊の方がおばあちゃんをおんぶして救助されていました。ここでも、人の力じゃないと何ともならないのを見せられているのかなって思って。私のなかで、お金じゃなくて、人の縁の方が大事なんやって思えてきて。もし大垣で災害が起きても、あの人、大丈夫かな、ここにある、ちょっとしかないけど、じゃあ、この子にあげようっていうのがやっぱり縁だと、つながりだと

田中:確かに、そうですね。

松好:ほかのボランティア団体も、気づいたことが一緒で。やっぱり、人の縁こそが最大の防災。子ども食堂を利用されている方とかも能登へ行かれていて、私たちにできることはありますかって聞かれるようになりました。そこから、募金とか救援物資とかではなくて、みんなでつながろうよっていう話になったんですね。今のうちに、みんなで、ここの地区だけでも、ここに来てくれている方だけでもつながっていったら、何かあったときにみんなで協力しあえるよねって。能登ほどのコミュニティーの力はないと思うんですが、被災地に行かせていただいたことで、そういうことに気づかせていただいて。だから、これからも行くし、大垣でもし大きな災害があったら、全国のつながった仲間が、民間レベルの拠点としてはここをめざしてくるっていってくれています

田中:それこそ、2024年の8月には初めて南海トラフ地震臨時情報も発表されましたし、岐阜でも毎年どこかで水害が発生していますから、これから本当に何が起きるかわかりませんよね。ただ、松好さんがおっしゃったように、自助、共助という視点でコミュニティーをつくっていくというのはすごく大事なことで、子ども食堂で食を通して次に何をやっていくかが見えてきたところですね。

松好:そうですね。


協賛金をくださいだけではなく、
できることはないですか?って。

田中:子ども食堂を運営していて葛藤を繰り返すなかで、能登半島地震の被災地へ行かれたことが転機となって、つながることの大切さを実体験として学ばれたと。最近では、地域企業へもその輪が広がってきて。

松好:あっ、そうです。何かあったら力を貸すよっていってくださって。

田中:どんどんつながっていきますね。

松好:2024年9月22日に開催した「いるかのふるさとまつり」では、会社さんにも協賛金をお願いしますとはいっていなくて。今回こういうことをやりたいから、何かしてもらえませんかっていう言い方をしたんですね。そしたら、う―ん、考えたけど、やっぱり協賛金じゃだめ?って。今回はお願いできなかった会社さんからも、教えてくれれば協賛したのにっていっていただいています。大垣市さんにも報告は入れているんですが、私は大垣市さんにも何かをしてくださいとはいっていなくて。私たちがやりたいからやります。ご協力いただければお願いしますって。地方自治体には、私たちみたいに、じゃあ行こう、じゃあやろう、ができないんですよ。だから、長い目で見て、全体のフォローをしていただければと。

田中:税金だし、公平、公正もあるし。

松好:これも子ども食堂の運営とまったく同じことで、大垣市さんに何とかしてくださいっていったり、もらうのが当たり前で、もっとください、もっとください、じゃなくて、あるもので何かをやっていこう、私にできることは何やろうって。だから、大垣市さんにお願いしているのは相談窓口。何かあったときに相談できるとか、利用者さんに何かあったときに相談できたり、最終的な解決をしていただける相談窓口になってくださいって。そのうえ、予算をいただけるなら、ありがとうございますって。自分たちがやっていくことと、やってくださいっていうことは、ちょっと違うのかなって。

田中:本当にそうだと思います。でも、大垣市さんはよくやっていると思いますよ。能登、輪島にしても、早々に決断して、みんなで行きましたし。だけど、松好さんのお話を聞いていると、やっぱり大切なのは行動することですね。とりあえず踏み出さないと始まらない。そうすれば、いろんなところへつながっていきますから。

松好:本当にそうですね。

田中:さっきの「いるかのふるさとまつり」はどんな思いで開催されたんですか?

松好:あのイベントは人の縁もそうですが、メッセージとして伝えたいことがあって。私の出身地でもある大垣市の南地区で、もう怖いぐらいにつながっていく人の縁を、子ども目線からだけ見ていたらだめと思ったんですね。子どもや子育て世帯の目線からこんなことをしてほしいです、だけじゃじゃなくて、私たちは年寄りにもなるし、介護が必要になったりもする。赤ちゃんは子どもになる、子どもは大人になる、子育て世帯の方たちは、子どもに手がかからなくなる。当たり前の順繰りを忘れている気がして

田中:なるほど。


お年寄りが楽しんでいる場へ、
子どもを寄せてもらいたい。

松好:私たちが子どものときに、おばあちゃんたちっていうか、二世代上の人たちの話は聞けた。そう思うと、世代を1つ空けて交流することも必要かなと。子どものいるところに、おばあちゃんたちに来てくださいじゃなくて、おばあちゃんたちが楽しんでいるところに、子どもたちを寄せてもらえへんかな、とか、そんなお手伝いができんかな、とか。会社さんにも、地域のためにこれならできるっていうことを考えていただく。会社さんともそういったつながりがほしいなって思ったんですよ。

田中:地域企業も利益を上げているときは金銭での支援はできますが、それは長い目で見ればサステナビリティではないんですよ。松好さんは直観的にそうしたことを理解できるんですね。

松好:私は能登半島地震の被災地で、人の縁こそ最大の防災を教えてもらいました。楽しみながらつながったうえで、もし辛いときには、あなたは一人じゃないよって。お母さんやお父さんは遠いところにしかいないかもしれないが、今、あなたのそばにだれもいないように思うかもしれないが、あなたのことは私たちがいつも見守っているから、一緒に乗り越えていこうって。あのイベントでは、こんなことをメッセージにして、光と音、視覚で訴えたかったんですよ。

田中:イベントのフィナーレでね。

松好:最後の光のメッセージ。だから、駐車場を貸してくださった斫木村さんから、自治会長さんとご協力いただいた会社さんに光をつないでいただいて、そこから参加者に一気につないでいただいて。それを目で見ていただいて、理解されていなくても、頭には残ると思うんですね。それが、こういう意味があったんだよって知ってもらったときに、あっ、自分は一人じゃないな、人のつながりがあるんやなっていうことを、子どもたちにも大人たちにも感じてほしいなと思ってやりました。

田中:これなんですね。これ、これ。お金をかけずに、みんなでこうやって描いて。私も1枚描かせてもらいました。これに下から光を照らしてね。

松好:そうです。

田中:すごい数でしたね。

松好:全部で200本ぐらいありましたが、帰り道へ向けてスタッフたちが並べて。

田中:いいアイデアだと思いましたよ、本当。

松好:廃材を使ったのと、何かあるものでっていうことで。もし被災して停電になったときに、携帯電話を載せてもらえれば、部屋のなかは明るくなりますので、これでこんだけ明るくなるんやってことも知ってもらいたかったんですよ。

田中:すごく雰囲気がよくて。子どもたちがめちゃくちゃ楽しんでいたのが印象的で、あの方たちのなかには、子ども食堂の利用者さんもいらっしゃったんですよね。

松好:そうですね。初めての方もたぶんいらっしゃったと思いますが。

田中:子ども食堂を含めて、これからどうしていきたいですか? もしかしたら違う方向にも広がる可能性だってあるし。

松好:これを同じような感じで、大垣の南の方は子ども食堂とかもないので、これを見た方が、じゃあ、自分の地区でもやってみようってことでしたら、いろんなフォローとか発信とかをしていきたいなと

田中:松好さんならではの発想ですね。

松好:私には本当に資金がないんですね。でも、今回のイベントが特にそうなんですが、私は恵まれているなと思ったんですよ。こういうことをやり始めて、いろんなことを気づかせてもらって、私は人という財産を持っているんだと実感できたことが、私にとってはよかった。ただ、兄にいわれたんですが、勘違いするなよって。私がすごいんじゃなくて、私が何かしようとしたときに、みんなが手伝ってくれるからだぞって

田中:すばらしい兄妹ですね。

松好:子ども食堂の運営者のみなさんがいろんなやり方をされているのは、それはそれで自由でいいと思うんですよ。ただ1つ、私が気づかせてもらった、やってあげているんじゃないっていうところとか、自分がやりたいと思ったからやったっていうことを忘れないでいただきたい。今後、こうしたことを運営者間で共有していきたいなって思っています。

田中:松好さんのお店は、お客さんもたくさんいらっしゃいますし、私はよくいっていたんですが、やっぱこの雰囲気がええんやなって。松好さんなら、きっと大きなコミュニティーをつくっていかれると思いますよ。最先端のテクノロジーでもかなわない、人のつながりの強靭なコミュニティーを


子どもでもお母さんの
お手伝いができるように。

松好:避難所のなかでも、被災された人がいろいろと手伝われているんですね。地方自治体の方や県外からの方とかもいらっしゃるんですが、被災された方たちがわははってみんなを盛り上げていて。被災された方が私たちもやれることはやらないとだめよって、もらってばっかりじゃだめよ、私たちも手伝えるんだったら手伝いに行くよっていって。そういうのを見たときにも、そうかそうかって、与えているだけじゃなくて、一緒にやれることはやる。家庭のなかでも自分でできることは、子どもたちもこれならできるっていうことをやれるようにしていく。やろうって思う気持ちっていうか、そういったことを伝えていきたいですね。

田中:今後はそういったことをやっていきたいと。

松好:そろそろそうしたことを訴えていく時期にきており、こういうことを感じてもらうことと並行しながら、実際のアクションにつなげていきたいと思っています。例えば、子どもでもできるクッキング。子どもも忙しいお母さんが帰ってくるのを待っているだけでなく、じゃあ、その間に子どもが食事の準備をする。いつもいつもできないかもしれませんが、お母さんと一緒に買い物に行って、こういうのを作ろうって残しておいたもので自分も作ってみる。子どもも家族の一員なので、大変だ、大変だっていってないで、じゃあ、お母さんが帰ってくるまでに、お手伝いできる力をつけてもらうとか。お母さんたちも、お金がない、お金がないといっているだけでなく、お母さんにも学んでいただく機会をつくっていきたいと思います。

田中:本当にそうですね。

松好:あとは、さっきもいったように、子どもの目線からだけじゃなくて、おばあちゃんやおじいちゃんが楽しんでいるところに寄せてもらう取り組みを、毎回じゃなくても、家族以外の違う世代の方と子どもたちが接する機会をつくっていきたい。それを楽しみながら、学校じゃない、やらされるんじゃない、保育園や学校におばあちゃんやおじいちゃんに来てもらうんじゃなくて、お年寄りがいらっしゃるところに子どもたちが寄せてもらうお手伝いをさせていただきたいと思っています

田中:いいですね。

松好:おばあちゃんやおじいちゃんたちが企画や運営されているところで、子どもたちが雑用係をさせていただくとか、そういうことをやっていきたいです。さらには、会社さんにはこんなことができますよって、大垣市全体の会社さんに発信していくのも、私の役割なのかなって思っています。

田中:松好さんはビジョンがはっきりされているので、一緒にやりたいという方にもわかりやすいですね。地域企業にとっても、サステナビリティなまちづくりに貢献することは、もはや企業の社会責任になっていますし

松好:そうですね。うちには運営スタッフが5人いるほか、手伝ってくださる当日スタッフの方とかがいらっしゃるんですが、みんなとても協力的でありがたいですね。自分から何か持ってきますとか、子どもたちに配ってくださいとか、給料が出たばかりだからとか。運営スタッフがこんなことしてくれるのは、普通はあまりないんですよ。

田中:すごいな。ほんまもんですね。ほんまもんじゃないと、利用者さんにもわかっちゃいますからね

松好:そうですね、それは、はい。

田中:そのご苦労を少しでも私たちにわけてもらって、私たちもやれることは最大限ご協力させていただきますから。

松好:「いるかのふるさとまつり」のわかりやすいリーフレットを作っていただき、近隣の方にも発信しやすかったです。ありがとうございました。

田中:地域企業も、自分たちだけ生き残っていくなんて、毛頭、思っていないですし、大垣でずっとこうやってやらせてもらっているからには、草の根のまちづくりにもいろいろとご協力させていただくことが責務だと考えています。だから、こういったご縁っていうのは、私たちもすごくありがたいと思っていますし、これからもよろしくお願いします。

TOPIC

  • 17 パートナーシップで目標を達成しよう
※このターゲットはRe:touch編集部の視点によるものです
あったかい食事のその先に、
人のつながりが生まれていく。
松好和子さんがcafe&kitchen「どるふぃん」を開店したのは2017年4月、家庭的な雰囲気のなかでおいしい食事がお値打ちにできると人気。毎月第4日曜日にどるふぃんの駐車場で開催している子ども食堂(多世代食堂)は、地域のみなさんが提供してくれる食材などを活用して、食事のふるまいや生活用品の支援などを行っている。「命を守る活動」や「鮎つかみ」などと、毎回テーマを決めてイベントも実施。子どもは0円だが、大人は300円以上の協力金が必要で、この協力金は子ども食堂の運営などに役立てている。
ほかにも、毎週水曜日と木曜日の18時から19時に実施している「夜ご飯支援タイム」。特製ハヤシライスを300円で提供したりしているが、「Dream Ticket」というボードに貼ってある1枚100円のチケットでも食べられる。これは、どるふぃんを訪れたお客さまがチケットを購入してボードに貼っておいてくれるもので、こうしたお客さまや子どもたちのメッセージがポストイットに書かれていっぱい貼られている。子どもたちにおいしい食事を提供するだけではなく、温かい人のつながりがこのボードから生まれている。

cafe&kitchen「どるふぃん」
〒503-0856 
岐阜県大垣市新田町3-23-2
0584-76-3708
営業時間/6:00~14:00
通常営業/火曜日~金曜日

Company PROFILE

企業名(団体名) いるかのこそだて
代表者名 松好 和子
所在地 〒503-0856
岐阜県大垣市新田町3-23-2

Re:touch Point!

子どもへのまっすぐな思いに、小さな協力の輪が広がっている。

Re:touch
エグゼクティブプロデューサー
田中 信康
「いるかのこそだて」が運営されている子ども食堂は、地域のみなさんからの支援の範囲で、自分たちでできることをやろうと決められている。また、2024年9月に初めて開催された「いるかのふるさとまつり」では、地域企業に協賛を依頼する際にも、協賛金がほしいのではなく地域企業ができることを考えてもらった。最終的には協賛金になったそうだが、地域企業にとっても寄付金ではいつか限界が来る。こうしたサステナビリティな思考を、だれに教わったのではなく、代表の松好和子さんは身につけていらっしゃるのがすばらしい。
松好さんが恩返しのつもりで始めた子ども食堂は、子どもたちのためにこんなに一生懸命やっているのにという考え方を捨ててから、みんなのアドバイスが心に届くようになった。そして、能登半島地震の被災地で、人の縁が最大の防災になることを知る。それは、子ども食堂をはじめ「いるかのこそだて」のあらゆる活動に通じることで、これからは人とのつながりを大切にした活動をされていくに違いない。子ども食堂や夜ご飯支援タイム、Dream Ticketなど、松好さんの子どもや地域へのまっすぐな思いに、小さな協力の輪が大きく広がっている。