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Interview
SDGsの先駆者に訊く

Re:toucher 39
ジェンダーフリーはまだまだ
スタートラインに着いたところ。

岐阜県各種女性団体連絡会議(岐阜県岐阜市)

代表 度会 さち子さん[写真左]

大垣夢ある女性の会(岐阜県大垣市)

代表 高屋 心子さん[写真右]
インタビュアー Re:touchエグゼクティブプロデューサー 田中 信康
SDGsターゲット
  • 05 ジェンダー平等を実現しよう
  • 10 人や国の不平等をなくそう
  • 11 住み続けられるまちづくりを
※このターゲットはRe:touch編集部の視点によるものです
男女共同参画社会づくりが叫ばれた草創期から、女性活躍社会やジェンダーフリーへと広がりを見せるなか、女性の社会進出が進展しているものと勘違いしていた。こうした男性社会の思い上がりを、ジェンダーフリーはまだまだスタートラインに着いたところと一刀両断されたのは、「大垣夢ある女性の会」を運営されながら、こうした社会課題に取り組んでこられた度会さち子さんと髙屋心子さん。
日本が直面しつつある超高齢者社会や昨年来のコロナ禍が新たな社会課題を浮き彫りにするとともに、SNSというコミュニケーションの大変革が、大垣夢ある女性の会に限らずこうした女性団体のあり方を問い始めている。今回は、大垣夢ある女性の会が果たしてきた役割にあぐらをかくことなく、次世代に輝く女性の活躍の場を求めて模索を続けていらっしゃるお二人にお話をお聞きした。
明治期、平塚雷鳥のところへ走った女性がいるなど、これまでにたくさんの先進的な女性を輩出してきた大垣市。女性が太陽と再び呼ばれるその日まで、度会さんや髙屋さんの想いは、大垣市の女性たちに引き継がれていくに違いない。

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コロナ禍でジェンダーフリーの
新たな課題が見えてきた。

田中:度会さん、まずは、「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」のご受賞おめでとうございます。本当に、岐阜県にはすごい方がいらっしゃる。

度会:ありがどうございます。

田中:度会さんと髙屋さんのお二人は、長い間、「大垣夢ある女性の会」を運営されながら、大垣市で男女共同参画社会づくりの活動をされているんですね。

髙屋:私は、度会さんにご指導いただきながらですが。

田中:度会さんは、大垣市の男女共同参画推進室で室長も務めていらっしゃいましたね。

度会:平成11年に男女共同参画社会基本方法ができて、平成16年から4年間、女性が豊かな人生を送られるよう啓発していました。

田中:本当に、男女共同参画社会づくりの草創期のころから。

度会:男女共同参画社会づくりには1990年代からずっと取り組んできましたが、政治の現場でも失言があるなど、日本もまだまだで、やっとスタートラインに着いたという感じですね。

田中:女性活躍社会とかジェンダーフリーとか、それなりに定着してきていると思っていましたが、まだスタートラインなんですね。最近の女性を取り巻く社会環境は、どうなっているとお考えなんですか?

度会:昨年からのコロナウイルスの感染拡大で、女性活躍社会とかジェンダーフリーの社会課題が、より明確になってきたような気がします。女性ががんばっているといっても非正規雇用ばかりで、長引くコロナ禍の影響でどんどん失業しています。そういった意味では、SDGsという新しい価値観が浸透しつつあって、このSDGsがこうした社会課題を解決するきっかけになるのではと期待しているんですよ。

田中:SDGsのゴールの1つに、ジェンダー平等がありますから。

度会:コロナ禍の新しい生活様式が定着するようになって、とても配偶者や他人に頼ってはいられないということがはっきりしましたので、女性の働き方もこれから変わっていくでしょうし、非正規雇用も見直されていくのではと思います。

田中:根本的なところから考え方を変えていくべきと。

度会:そうですね。社会保障も、税制も、社会福祉もすべて。夫婦別姓もそうですが、海外では個人単位なのです。

田中:度会さんの言葉をお借りすれば、SDGsはやっぱりいいチャンスですね。SDGsを本質的な意味での気づきに変えて、若い人たちにも共感を呼び起こしていかないと。先輩方がここまで築き上げられたものを、しっかりと守らなきゃいけないし、それを発展させていかなきゃいけないですね。

度会:岐阜県にもいろいろな活動をしている女性団体があって、私はその連絡会議の代表をしていますが、そういった女性団体では環境問題とかはずっと前から活動しています。最近では、フードバンクとかも。SDGsのゴールには貧困とか飢餓がありますよね。私たちはSDGsが叫ばれる以前から、こうした社会課題に取り組んでいます


地域社会で役割を果たしてきた
「大垣夢ある女性の会」。

田中:大垣夢ある女性の会ができたのはいつごろですか?

度会:平成2年に、大垣市や西濃圏域の女性職員にも参加してもらい発足しました。大垣市は約16万人という人口規模からも、また、社会インフラもいろいろと整備されていて、女性が活躍できる環境がそろっていたように思います

髙屋:30年前のことですからね。

度会:たくさんの女性に集まってもらえたのは、とても画期的なことだったのですよ。

田中:こういう動きは全国的にあったんですか?

度会:いや、その当時はそんなになかったですね。

田中:当時はどんな感じでしたか?

度会:まだまだ女性が活躍することはあまりなかったのですが、大垣夢ある女性の会としていろいろなことができて楽しかったですね。自分たちで自由に企画して、予算をつけてもらって、ビデオやパンフレットも作りました。私なんか働きながら活動していましたよ。

髙屋:そして、私の年代では、PTAの母親連絡会と連携したりもしました。これは、能力のある女性を発掘するという点では、大きな役割を果たしてくれたと思いますね。

田中:時代の移り変わりとともに、いろいろとあるんですね。

髙屋:専業主婦がいっぱいいる世代でした。

度会:母親連絡会は、専業主婦が中心でしたね。今はもう共働き世代のほうが圧倒的に多いのですが。

田中:そうですよね、やっぱり。

度会:大垣夢ある女性の会は、地域社会のいろんなところで活動してきましたから、これまで続いてきたのかなと思います。

髙屋:私の年代の何人かは、それで活躍できる場が広がりました。

田中:大垣夢ある女性の会がなかったら、どうなっていたんでしょうね。

度会:どうでしょうかね。ただ、いろんな目的の女性団体がいっぱいできましたよ。

髙屋:ほかにもね。

度会:じゃあ、大垣夢ある女性の会で、何をやるのということになっちゃうわけですよね。大垣夢ある女性の会もそろそろ役割を見直していかないと。また、大垣市には、男女共同参画センターとして「ハートリンクおおがき」もできましたし、これからいろいろな女性団体とどうつながっていくかが課題ですね。SDGsもそうしたつながりを大切にしていますしね。

髙屋:大垣夢ある女性の会では、度会さんが男女共同参画推進室の室長になられたころから、こうした啓発活動を中心に取り組んできましたが、そろそろ次の世代に引き継ぐ時期に差しかかっていると考えています。時代がどんどん変わっていますので、若い世代の女性が活躍できる場を何とかつくって、それをつなげていけたらいいのですが。

度会:私が、大垣市で男女共同参画都市宣言をしたころのことですね。岐阜県で初めてやったのですよ。

田中:度会さんは、「高齢社会をよくする女性の会」の岐阜の副代表もされていらゃしゃいますね。

度会:経済的に苦しんでいる高齢者の女性を何とかしなければいけないと。性別役割分業の真っただ中にいた女性なので、そりゃあ配偶者に先立たれたら生活できないですよ。

田中:度会さんは、そうした女性が抱える社会課題にしっかりと取り組まれていますね。これは、SDGsの基本中の基本ですから。

髙屋:つながっていますね。

田中:そして、コロナ禍がニューノーマルの考え方を気づかせたてくれて、今までのセオリーは違ったんだみたいなところもあって、自分たちの活動も変えていかなきゃみたいな。

度会:それに、SNSが社会を大きく変えてますね。でも、やっぱりフェイス・トゥ・フェイスですよ。SNSはとても便利ですが、顔を見てお話しないと伝わらないことってあると思います。そういった意味では、SNSだけに頼るのは間違いだろうと。そういったメディアをどうやって生かすかですよね。

超高齢社会では、女性とか男性とか
いっていられない。

田中:大垣夢ある女性の会の今後のビジョンはお持ちでしょうか?

度会:大垣夢ある女性の会に限ったことではありませんが、地域の女性団体はいろいろと模索している状況ですね。こうした女性団体は社会教育の場として自主的な運営をしてきたのですが、それがだんだんと見失われているような気がします。

田中:超高齢社会というのもありますし。

度会:私は、この4月から地域の自治会長をやっているのですが、2年前、3年前の高齢化率が47%でしたよ。

髙屋:私が住んでるところもそうですよ。

度会:それで、「いきいきサロン」とかやっているのですが、もう女性だとか男性だとかいってられない。本当にそれは思いますね。こんなこといったら叱られるかもしれませんが、仕事一筋でがんばってきた男性には退職したら自治会の仕事はおもしろいですよ。

髙屋:そうですね。

度会:うちの自治会なんか、細かいことをいっぱいやってくれています。

田中:年の功っていうのは、やっぱり大事だと思っていまして。

度会:定年退職した男性って、自治会で活躍できると思いますよ。

田中:シニアの活用の仕方っていうか生かし方ってキーワードになってくると思いますし、ここにちゃんとうまく着眼点を置いて、シニアがモチベーションを持って働けるようにした企業っていうのは残っていくんですかね。

度会:そういう社会的な経験を積んだ高齢者をどのように生かすかによって、地域もずいぶん変わってくるのかなって気がしますね。

髙屋:女性、男性を問わず、それぞれ得意なことがあるはずですし。

度会:やっぱり、組織の動かし方がわかっていることは必要なのかなと思いますね。

田中:よくわかります。今の世の中って指導っていうのが、ちょっと言葉にとげがあるとパワハラになってしまったりとか、すごく難しい問題が出てくるんですが、厳しく教えてもらうってことも大事だと思っています。

度会:そうですね。超高齢社会が抱える社会課題の解決の一つの方法かもしれません。

田中:度会さんは、コロナ禍での女性の生き方みたいな講演をされたりしていますね。

度会:講演のためにいろいろと調べていたら、コロナ禍のなかの仕事日記みたいな書籍があるんですね。さまざまな職種の方たちが、その時に何をしたかっていうことを書いています。それを読んでいると、社会というのはいろいろとつながっているのだということがよくわかります。例えば、テレワークになって困ったのは、まず、クリーニング屋さん。カッターシャツが要らないですから。

田中:本当に要らないですね。

度会:コロナ禍で見えてきたのは、SDGsじゃないでが、やっぱりつながりなのですね。歴史的に残していくことは縦へつなげることですし、同じ時代を生きている横へのつながり、グローバルには世界とつながることもあるでしょうし、地域社会でいうなら隣近所とつながることなのだと思います。そういう意味では、SDGsは大きなきっかけや切り口になるのでしょね。それは、すごく思います。

田中:あとは、共感するってことかもしれませんよね。

過去に先進的な女性を
たくさん輩出してきた大垣市。

髙屋:私は、本当に普通の専業主婦だったのですね。この大垣夢ある女性の会に誘っていただいたおかげで、いろいろな方に出逢うことができて、自分ができることがどんどん広がってきました。今あるのは本当に皆さんのおかげだと思っていますので、今回のように取り上げていただけると、若い世代の方にもこういう活動があることを知っていただけるかもしれないと。

田中:大垣夢ある女性の会の歴史ある活動というか、長く年輪を積み重ねていらっしゃったことは尊いものだと思いますし、これは地域の発展には欠かせないことだったと思っています。こうしてお話をお聞きしていて、大垣夢ある女性の会も大きな変革期にあって、これから時代に対応できるように再構築していかなきゃいけないという考えをお持ちなんですね。

度会:本当にそうですね。

髙屋:そのきっかけに、この取材はすごくいいのかなっていう気持ちはあります。

度会:ジェンダーフリーは、まだまだスタートラインです。新たな次への一歩と。今までがマイナスですから、ゼロになってようやく進める

髙屋:次の芽がちょっと見えてきましたので、私はそれに期待をして、何とかその方たちが花を咲かせてくれると。最終的には、それが大垣夢ある女性の会じゃなくてもいいのですが、自分たちがやりたい活動がもっとできるように、あるいは、ほかの方たちとつながっていけるといいなと思っています。

田中:そういう女性の方々にも、きっと課題意識がないわけではないですよね。

度会:今の時代は、そういう方たちはSNSでつながりができちゃうわけですよ。

田中:そっか、違うコミュニティーができるんですね。

度会:違うコミュニティーができているから、何もここにいなきゃいけないということはないのですね。

田中:でも、大垣夢ある女性の会みたいなものがあって、それを母体にして活動できたり、発信できたりするといいと思いますが。

度会:大垣夢ある女性の会でも、そうしたSNSを活用していかないと。

髙屋:秋に企画しているものは、その比較的に若い方たちにやってもらおうと思っているのですが、それはもうリモートを前提に考えてねとお願いしています。若い世代の方だと、同じSNSでも、こういうのがあるよって持ってきてくれたりするのですよ。

田中:以前は、本当に活発に活動されていましたもんね。

髙屋:大垣夢ある女性の会のなかで、広場活動をしたりしたこともありました。

度会:本当に外に出ていって、みんなでいろいろなことをやりました。ヤナゲンとか大垣城公園とかで、テントを張って。自分たちでやれるってところが、ものすごくおもしろかった。

髙屋:当時は、大垣市の女性団体のほとんどがここに入っていました。

田中:自分たちで時代を切り開いていかれたんですね。

髙屋:時代とともに変化していく社会課題に対応していかなければと思いますね。これから本当に人材を発掘していかなきゃいけないし、せっかく集まってくれた方を生かしていきたい。

田中:時代の変化に「適応」していくことが大事ですね。そして、それが自分たちのやりたいことにつながっていく。そんな原点に返るってことですね。

髙屋:私は、だれもが自分の生きたいようになるっていうのが、男女共同参画社会においては基本になるのかなっていう気がしています。

度会:岐阜県のLGBTに取り組んでいらっしゃる会社で聞いたことがありますが、そういう方たちを基準にするといろいろな方が働きやすい職場になるって。きっと、そういうことなんだろうと。

田中:度会さんや髙屋さんには、まだまだいろいろ教えていただかなきゃいけないです、本当に。

度会:私は、大垣市の女性史を古くからやっていますが、大垣市はたくさんの先進的な女性を輩出してています。明治期に、『青鞜』、原始女性は太陽だったといった「平塚らいてう」のところに走った女性が2人もいるのですよ。それから、女絵師として知られる江馬細香、彼女は漢詩人でもありましたが、あとは、同じように女絵師で漢詩人の梁川紅蘭。海外でジェンダーフリーといえば、この2人は必ず挙がってきます。大垣市は、中山道があって東西文化の接点でしたから、新しい時代の風を受けて女性が活躍した歴史があるのですね

田中:貴重なお時間をいただきまして、今日はありがとうございました。

TOPIC

  • 05 ジェンダー平等を実現しよう
  • 10 人や国の不平等をなくそう
※このターゲットはRe:touch編集部の視点によるものです
大垣市で30年以上にわたり、
女性のネットワークを広げる。
平成2年の設立当時、63もの女性団体と109人の個人、発起人に32人が名を連ねていた「大垣夢ある女性の会」。この事実だけでも、大垣夢ある女性の会への期待がわかる。男性社会に埋もれてきた女性の小さな声に耳を傾けて、自分らしく生きるために勇気と希望を与えてきた。大垣夢ある女性の会が地域社会に果たしてきた役割は大きい。
日本においては超高齢社会が到来し、また、SNSがコミュニケーションの大変革をもたらすなか、昨年来のコロナ禍が、女性活躍社会やジェンダーフリーに影を落とす。新たな社会課題が頭をもたげてきており、大垣夢ある女性の会では、こうした時代に適応できるよう模索を始めた。未来永劫、女性が輝き続けるために、その想いは次の時代に引き継がれていく。

Company PROFILE

団体名 大垣夢ある女性の会
代表 高屋心子
事務局 大垣市かがやきライフ推進部
まちづくり推進課・男女共同参画推進室

Re:touch Point!

岐阜県内では初の「男女共同参画都市宣言」をした大垣市。その背景には、多くの女性の活躍があった。

Re:touch
エグゼクティブプロデューサー
田中 信康
長年、大垣市で男女共同参画社会づくりの先陣を切ってこられた度会さち子とさんと高屋心子さん。これまでのお二人の功績はいうまでもないが、女性が自分らしく生きることへの想いはとても気高く、そのために人知れずされてきたご苦労も、「楽しかった」の一言で片づけられてしまった。女性がいきいきと輝く地域社会にするためには、まだまだご指導いただかなければならないことが、山のようにあると感じた。
SDGsへのご理解もあり、大垣夢ある女性の会の存在自体がSDGsに通じることは、衆目の一致するところ。超高齢社会やコロナ禍で見えてきた新たな社会課題にも、地に足をつけた取り組みをされているのはすばらしい。女性活躍社会とかジェンダーフリーとかいっても、性別役割分業のなかで生きてこられた女性ならでは視点から見れば、そこには大きな落とし穴が潜んでいることを教えてもらった。